今は無き、四国急行バスをご存じですか?
- 2021.12.17
- 伊予鉄の歴史
いよ子です。
「三度の飯よりバスが好き」という愛すべき皆さんに、朗報です。
四国急行バスってご存じですか?
1965(昭和40)年に営業を開始し、1977(昭和52)年に解散した激レアなバス会社です。
今回は、わずか12年間だけ存在したバス会社について語ります。
最後まで読んでくれたら、きっと嬉しいお知らせにたどり着きますよ♪
合同出資で都市間を結ぶ!
1963(昭和38)年当時、松山市と高松市を結ぶ公共交通は国鉄(予讃線)のみ。高速道路なんて開通してない時代です。
国道11号線の全線改修がようやく完成間近となったころ、両市を結ぶ急行バスを走らせるため集結したのが、伊予鉄道(現 伊予鉄グループ)、瀬戸内運輸、琴平参宮電鉄(廃止)の3社(のちに高松琴平電気鉄道も参画し4社に)。共同で「四国急行バス株式会社」(以下、四急バス)を設立したのでした。
四急バスの発起人代表は伊予鉄の宮脇 先(みやわき・すすむ)社長。事務所も伊予鉄に置きました。
営業開始
1965(昭和40)年3月18日。快晴の中、始発便が松山を出発したとの記録が残っています。ちなみに初便のお客さまは7名でした。
開業当初の運行回数は松山-高松間を3時間55分で結ぶ特急便2往復と4時間10分かかる急行便15往復、合わせて17往復で運行。
ええ、高松まで4時間かかっても急行です。
なお、このうち11便が四急バス、6便は国鉄バスによる共同運行でした。
四国初のトイレ付バス
四国で最初の長距離定期バスだったことに加え、1969(昭和44)年7月から四国初のトイレ付バスを運行。今なら長距離バスには当たり前ですが、当時はまだ珍しかったトイレ付。これは安心です。
冷暖房付きの快適さ、ガイド車掌による沿線案内などもあり観光を兼ねた利用もあったとか。
四急バスは1日平均600人近くの乗客を運び、予想以上に順調な営業を続けていました。
当初はガイドさんも乗車。制服がかっこいい!
しかし・・・
経営の悪化
順調であった四急バスですが、1970(昭和45)年頃から国道11号線の渋滞がひどくなり、1時間以上遅れることも。
この時代、マイカーが増えたことが遅延の要因でした。四急バスはワンマン運行にするなど合理化を図りますが、一旦離れた乗客はなかなか戻りません。
追い打ちをかけるように1973(昭和48)年にはオイルショック!燃料費が高騰し、万事休すとなりました。
12年間で幕を下ろした四急バス
赤字が続き、このまま経営を続けることが困難だと考えた宮脇社長は、会社を解散する決意をします。1977(昭和52)年1月に事業廃止を国に提出。
12年間松山-高松を走った四急バスはひっそりと姿を消したのです。
なんとレアな!四急バスのグッズが眠っていました。
さて、お待たせいたしました。
先日、伊予鉄の倉庫整理をしていた時、この四急バスの乗車券などが出てきたのです。
お宝発見に、いよ子歓喜!
このままフタをするのは、あまりにも勿体ないので、この度、四急バスの貴重な乗車券やパンフレットなどを皆さんに楽しんでいただきたく、販売することにしました。
※完売いたしました。また何か出品できるものがあればお知らせいたします!
12年間しか運行してなかったバス会社の貴重なグッズ。これは大変レアです。
社史もありますので、より深く四急バスを知っていただけますよ。
残っているものが少ないので、出品しているもの限定になります。
伊予鉄マニアショップで販売していますので、ぜひ一度ご覧くださいね。
https://iyotetsushop.official.ec/categories/3467989
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とても懐かしい画像ありがとうございます。四国急行バスは乗ったこともありますし、デラックスなバスは今も印象に残っています。南四国急行バスもありました。四国急行の年史はほしかった本当に。
いよ子です。
コメントありがとうございます。
四国急行バス、当時は大きなチャレンジだったと思います!
今後ともいよ子のブログ、よろしくお願いいたします。