スイスイ!高浜線立体交差事業♪

こんにちは♪いよ子です。皆さま、お正月気分は無事に抜けられたでしょうか?

今回は、伊予鉄道高浜線にある高架についてです♪この立体交差事業は、1989年12月に調査・設計が始まり、1998年10月に工事が完成しました。およそ10年かかっているんです・・・。いよ子もおどろき。伊予鉄にとっても、大きな事業の1つです。では早速、紹介していきます!!

より良い「まち」へ

立体交差、どこにある??

まず、今回の話の舞台はどこにあるの?という方へ、場所をお伝えします🌉

伊予鉄道高浜線「西衣山駅~古町駅間」

伊予鉄道高浜線の、古町駅から西衣山駅に向けて、約1.6㎞の鉄道を高架化し、8か所の道路と立体交差しているんです✨

計画浮上。

そもそも、どうしてこのような一大事業が始まったのか😯気になりますよね♪

当時、松山市はどんどん都市として発展している段階。先ほど地図で載せたように、大きな道路(松山環状線など)も通っています。更に、自動車を使う方も増えてきたこともあり、踏切が道路を寸断してしまい、交通渋滞など都市機能の低下がみられていました。

そこで!この立体交差化事業が始まっていくんですね!!

交通とまちづくり。いよ子のわくわくポイントです💕

完成への「6ステップ」

工事は1994年12月8日に始まり、大きく6つの段階を踏みながら進んでいきました。それがこちらです✨

元々あった線(現在線)の横に仮線を敷き、仮線で運行。現在線があった位置に高架を建設していく・・・これが仮線方式♪

自分が住むまちで、大きな工事が少しずつ進んでいく様子は見ていて楽しいですよね☺

工事開始直後の大地震

1995年1月17日、阪神・淡路大震災が発生してしまい、松山市でも震度3の揺れを計測。この震災をきっかけに、新たな耐震基準への適用が必要となりました。つまり、まさにこれから建設しようとしていた高架橋でも設計を一から見直すことに。結果、当時の新耐震設計基準の全国第一号適用となりました。

完成間近!夜間切替え工事

高架ができてからは、高架での単線運転を経て、最後に高架複線運転となります。

※いよ子は今、ものすごく駆け足で説明していますが、たくさんの方の努力と約10年の月日を費やした大事業です!!

こちらの写真、白黒で申し訳ないのですが・・・。1998年7月17日の最終電車通過後に行われた、高架複線切替え工事の様子です。工事は衣山側と古町駅の二工区で実施しました。衣山側では敷設していた仮線を撤去。古町側では、50tレッカー車2台で分岐器を撤去し、シングルスリップスイッチポイントという、狭い箇所で複数のポイント機能のある特殊分岐器を設置しました。当時、伊予鉄では初採用となるポイントです。そうして軌道整備を実施し、電車線や信号設備を変更した後、分岐器の試験や試運転電車を運行✨「安全」を確認し、見事に切替え工事を完了しました。

喜びもひとしお

夜間工事を終えた7月18日。ついに、特別な朝を迎えます。当日は、松山市内の幼稚園児約100名を招待し、試乗会を行いました。

松山市駅で、園児から電車乗務員への花束贈呈シーン✨いいなあ~!

この後、園児と保護者の皆さんが電車に乗り込み、高架複線区間を含む松山市駅~梅津寺駅間を試乗しました。街並みを見渡せる高架区間の車窓に、皆さん大喜びだったそう❣

当時はこのような磁気式い~カードも記念に発行されたんですよ♪

こうして、高浜線の立体交差化事業は完成。6か所の踏切が撤去され、8か所の道路と立体交差化したことで、安全性の向上と都市交通の円滑化に大きな効果が得られました!!

立体交差の仲間たち

ちなみに、昔はこんな立体交差もありました♪

大正時代の上一万(下が伊予鉄道、上が松山電気軌道)
大正初期の六軒家立体交差点
(上が松山電気軌道の電車、下が伊予鉄道の蒸気機関車と電車)

時代の流れとともに、まちはどんどん進化していくんですね♪いよ子も、変わっていく松山のまちをしっかり見ていきたいなあ💕

というわけで、今回のお話はここまで!!読んでくださってありがとうございます🌈

次回もお楽しみに~!


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