営業距離わずか4.4キロ!~今はなき森松線~

皆さん、こんにちは。 いよ子です。

かつて、横河原線の立花駅から、森松に向けて列車が走っていたのを知っていますか!?💡

今回のブログでは、現在は廃線となった「森松線」についてご紹介していきます!

森松線の誕生

森松線の誕生は古く、明治時代に遡ります。

実は、伊予鉄が最初から計画していたわけではなく、現在の国道33号線沿道の有志が別の一会社を興して布設しようと計画していましたが、明治26年6月の株主総会で伊予鉄が引き受けることになりました。

森松線開業の免許状

その後工事が進められ、明治29年、立花駅~森松駅を結ぶ 営業距離わずか4.4キロの「森松線」が運行を開始しました💡

立花駅(左の線路が森松線、右が横河原線)
森松駅から立花駅に向けて出発する列車
森松駅のホーム
小野川鉄橋を渡る坊っちゃん列車

椿まつりの際は満員列車に!

明治34年には立花駅と森松駅の間に、「石井駅」という駅も設置されました。

石井駅

石井駅の近くには伊予豆比古命神社(椿神社)があったため、椿まつりの際には臨時列車を運行してもさばききれないほどたくさんの方にご乗車いただきました😲

椿まつりで賑わう石井駅

日常の風景としては、汽車を時計代わりにしたり、肥料や米などの物資輸送にも重宝されたりするなど、沿線の人々の生活に溶け込んでいました😊

終点の森松駅においても、森松線開通後に周辺に飲食店や商店街ができ、この地域の商業中心地となっていきました。

森松線を走る列車

70年の歴史に終止符【森松線 廃止】

バス事業の発展

戦後、道路の改良・舗装に伴い、バス事業は急速に発展していきました🚌

どんどん発展するにつれ、バスの運行本数も多くなり、鉄道は1時間に1本(1日19往復)しかありませんでしたが、バスは10~15分に1本(1日90往復)にまで増えました。

並走する鉄道森松線の利用者をどんどん吸収していき、昭和40年の鉄道線利用者数は昭和24年頃の約半分にまで減少しました。特に日中は車両・駅設備とも遊休設備となり、バスの補助輸送機関に過ぎなくなっていました。。

駅施設などの老朽化も進み、需要の不足・営業距離の短さから、投資額の回収は見込めないと判断し、明治29年から約70年間活躍した森松線は、ついに昭和40年11月30日をもって廃止となりました。

運行最終日

運行最終日、森松駅発の最終列車を見届けようと何百人もの人が森松駅に集まりました!
ホームの中は身動きがとれないほどだったそうです😲

森松線が運行した70年間には、軌間を62㎝から92㎝に拡張したり、蒸気機関車からディーゼルに近代化したり、戦時中の物資輸送など様々な歴史がありました。
戦時中や戦後は石炭の質が悪く、木と一緒に燃やしていたため、蒸気が思うように上がらず上り坂で止まってしまうことも・・。そんな時には学生たちが降りて一緒に後ろから押してくれたそうです😂

最終列車の発車に先立ち、地元の森松商工会から機関士と車掌に花束贈呈。「蛍の光」が哀調を帯びて流れ出し、集まった人の中にはハンカチを目に当てる方も・・。

花束を受ける乗務員

打ちふられる小旗の波と、地元の方と列車を結ぶ5色のテープが華やかに交錯し、「ご苦労さん!森松線」「お世話になりました!」などの声が沸き上がり、最終列車は後ろ髪をひかれる思いで、ゆっくりと森松駅を離れていきました。

廃止記念の「犬釘」

運行を終えた翌12月1日に当時の宮脇社長が抜いた犬釘は、現在でも社内に保管されています。

犬釘とは・・・
レールを まくらぎ に固定させ、軌間を保つほか、レールの移動を防ぐための固定具。

 

森松駅で抜鋲する宮脇社長

いまも残る森松線の面影

廃線から60年近く経ちましたが、森松線の面影は現在も残っています💡

まずは、森松営業所!
現在、バスの営業所である森松営業所は、かつて森松駅だったんです!

バスの営業所ですが、なんとなく駅舎っぽい雰囲気でしょ?

 

そして、立花駅近くの公園!

立花駅を出発して森松駅に向かう線路は、現在公園になっている場所を通っていました💡

公園内にあった木は、当時のまくらぎなのかな!??

実際に廃線跡の場所を見て、このあたりを走っていたのかな~と想像するのも面白いので、ぜひ立ち寄ってみてくださいね😊

まとめ

というわけで、今回は、70年間に渡って地元の方々に愛された、まぼろしの森松線についてご紹介しました!

最後までご覧いただき、ありがとうございました♪
次回のブログもお楽しみに✨


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