三津吉田線の魅力!
こんにちは。いよ子です。
先週は、市内電車の電停すべてを何時間で回れるか!?というタイムアタックをしてきました。途中は徒歩移動もあったので、結果的に3時間54分で制覇できました!9000歩も歩いたので、すごく疲れましたが達成感でいっぱいです。ぜひこちらのブログもご覧ください!
さて、今週はバスに乗り変えて路線バスの魅力をお伝えしたいと思います。
今の路線バスは通勤・通学で利用する以外利用シーンが減ってきています。それでも少し視点を変えると周辺には普段気付かなかった意外な物が見てくるかもしれません。
今回ご紹介する路線は、伊予鉄バスの中でも屈指の細道を運行する「三津吉田線」です。この路線はシンプルに旧空港通り、県道22号を運行。松山市駅~済美高前~土橋~竹原町~生石入口~生石~髙岡~生石小学校前~住宅前~金毘羅前~アイテムえひめ前~西署前~三津港(一部抜粋)を結びます。路線番号は56番。日中は30分間隔で運行しています。
【豆知識】
この系統は途中の「南斎院」バス停で乗務員交代をする場合があります☺
沿線の見どころ
松山市駅を出発して、千舟町通りを西進し国道56号を南進後、スターバックス湊町店交差点を右折します。するとまず左手に見えるのが松山でも人気の老舗「手打ちうどん まつや」おすすめは鶏天温玉うどんです🥰
アクセス:済美高前バス停・土橋バス停からどちらも、徒歩約2分。
続いて、1~2分走ると左手に見えるのが、ケーキ店「GIV」ここも松山では人気のお店で40年以上の歴史があるそうですよ。アクセス:竹原バス停から徒歩約1分。
病院やドラッグストア、ホームセンターを横目に見ながら旧空港通りを西進していくと、環状線と交差します。この旧空港通りと環状線が交差するところにあるバス停が「生石入口(いくしいりぐち)」です。
なぜ、入口?と思うかもしれませんが、概ねこのバス停を境に西側が「生石町」東側が「竹原町」となっています。
そして、環状線を横断するといよいよ伊予鉄バス路線の中でも屈指の細道に入っていきます。なんとこの細道は、県道22号線に出るまで、約3.5㌔も続きます。いよ子はここを通るバスを見るだけでハラハラしますが、運転士の類まれな技術と集中力のおかげでスムーズな運行ができています。
ここからは、住宅街に入っていきますが意外といろんなお店があるんですね!
【ブレッドアンドカフェアペ生石店】アクセス:生石バスから徒歩1分
【中華料理店 忠香】アクセス:日吉神社口バス停から徒歩1分
【魔法洋菓子店ソルシエ】アクセス:西側バス停降りてすぐ
【café SORO】アクセス:西側バス停降りてすぐ
その中でも、住宅前バス停の最寄りにある「日光寿し」こちらはリーズナブルなお値段で地元の方に愛されてる老舗のお寿司屋さんです。こちらはみきゃんアプリが使えます🤣
ここを過ぎると県道22号線、工業地帯を走り新空港通りを横断し海軍航空隊跡を辿りながら金比羅前~アイテム愛媛前を経由し三津港に向かって北上していきます。
その途中にある「白滝うどん」は“冷たいうどん”が有名です。(ざるうどんではありません)“冷きつね”があっさりして美味しいそうなので、いよ子も行ってみたいと思います。
この辺りは松山地区最大の工業地帯であり、「白滝うどん」はその大工場に関わる業者さんたちの一種の食堂の役割を担っているのだそう…🧐
アクセス:金毘羅前バス停から徒歩1分
金毘羅前と言えば、どこかで聞いたことあるバス停ですね?そうです!以前のブログで紹介した、東温市にある“松尾山金毘羅寺”がある金毘羅前です。吉田の金毘羅前と合わせて2つ目、伊予鉄バスのバス停にはもう一“金毘羅前”があるのでまた探してみてください🧐ちなみに、吉田のこんぴら神社はバス停名になっている“金毘羅(こんぴら)”ではなく、“金刀比羅”と書いて“ことひら神社”と読むそうですよ。
歴史の話(出典)
バス停名にもなっている「生石」と「生石小学校前」実は読み方が違います。
“いくし” ・ “しょうせき”小学校と読みます。
「生石」の由来は、今から350年から360年前に、今の「生石町」のあるお百姓さんが田を耕していたところ、鍬の先にカチンと当たるものがあったので掘り起こしてみたそうです。
すると田の中から、幅約24cm,高さ約48cm,厚さ約20cm位の仏像を刻んだ”石”が出てきたのです。それは”阿弥陀如来像”を刻んだ”石”だということが分かりました。
この村は古来”伊櫛”(いくし)と呼んでいましたが、この”阿弥陀如来像”の”石”が出てからは”石を生む”村ということで「生石」(いくし)と言うようになったという言い伝えが残っています。
明治22年(1889年)に、旧温泉郡高岡村、富久村、久保田村、南吉田村、北吉田村の5つの村が合併し”温泉郡生石村”として発足したのが「生石地区」(しょうせき ちく)の始まりです。ではなぜ、明治22年に5カ村が合併したときに「生石村」(しょうせきむら)と名付けられたかというと、「生石地区」(しょうせきちく)の鎮守の杜(ちんじゅのもり=地域の守り神)である”生石八幡神社”(しょうせきはちまんじんじゃ)から、その村名が採られました。そしてその生石八幡神社の由来はというと…、諸説あるみたいなので興味のある方は調べてみてくださいね🧐
まとめ
皆さん、いかがでしたでしょうか?住宅街と工業地帯を走る三津吉田線の沿線にも、様々なお店や歴史があり魅力がたくさん詰まっています。そんな魅力いっぱいの路線バスも皆さまのご利用無しでは、存続することができません😿今までバスに乗ったことが無いという方も、まずは軽い気持ちで乗ってみてください♪
それでは、今回はこの辺で!次回の沿線紹介もお楽しみに♪
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