夏の風物詩「松山野球拳おどり」

いよ子です。

 今年も早いもので、もう7月になりましたね。7月と言えば夏!夏と言えば…色々ありますが、伊予鉄グループでの夏のイベントといえば?そう!「松山野球拳おどり」です!この松山野球拳おどりは、1966年に第1回大会「松山おどり」として開催され、今年で59回目を迎えます。そんな歴史と伝統の松山野球拳おどりですが、実はこの伊予鉄グループと深い係わりがあるんです。今回は、その係わりについて詳しく見ていきたいと思います!

野球拳の誕生

 この華麗な舞台の幕開けは、1924年に遡ります。高松市の屋島グラウンドが完成し、その記念として近県実業団野球大会が催されました。当時、西日本に名が轟いていた強豪の伊予鉄電気(現伊予鉄グループ)の対戦相手は、水原茂(元巨人軍監督)らを擁する高商・高中倶楽部連合でした。結果は、8-0で伊予鉄電野球部の完敗だったそうです。その夜、高松市内の旅館で懇親会が開かれ、宴席は隠し芸の競い合いとなりました。芸達者揃いの高松勢の前に、またもや伊予鉄電ナインは意気消沈。そうした仲間を奮い立たすため即興で歌と振り付けを考え、選手全員がユニホーム姿で踊りを披露すると、大いに受け、宴席は大盛り上がりで夜の部は伊予鉄電の大勝利。これが野球拳の始まりとなりました。

野球拳の創始者

 野球拳の創始者といえば、あの人!ご存知の方も多いと思いますが、伊予鉄道(現伊予鉄グループ)元社員の「前田伍健」彼は香川県で生まれ、父から居合や書画を教えられて育ちました。旧制高松中学校(現香川県立高松高等学校)を経て、坂出の伊予水力電気の支店に入社、やがて本店の松山転勤となり松山へ移住しました。大正5(1916)年、伊予水力電気が伊予鉄道電気(現伊予鉄グループ)に吸収され、そのまま伊予鉄道電気に勤めたそうです。

川柳人「前田伍健」

 彼は愛媛県川柳界の第一人者でもあり、全国川柳界の七賢人に選ばれたほどの実力者だったといいます。愛媛県内の至るところには、「前田伍健」の句が刻まれた句碑があり、石手寺には野球拳踊りの碑が建てられています。新居浜市の一宮神社境内には初代家元「富田狸通(りつう)」が詠んだ句と共に、句が刻まれた狸形の句碑が置かれています。四国中央市の三島公園には、地元の紙川柳会が昭和41年に建てた句碑があります。

(愛媛県生涯学習センター提供)

 また、川柳を普及させる手段の一つとして「マスコミ」を大いに利用したそうです。その普及に一役を買った「放送川柳相撲」という番組は四国4県の川柳人が、視聴者から募った「お題」に沿ってマイクを通じて即吟(その場ですぐに詩を作ること)を競うという趣旨で行われ、これを行司である前田伍健が比較して勝負を即決していたといわれています。

(愛媛県生涯学習センター提供)

「前田伍健」といえば野球拳のイメージがすごく強いですが川柳人としても、すごく偉大な方だったんですね🤭

前田伍健についてもっと知りたいという方は、愛媛県生涯学習センター「愛媛人物博物館」で詳しく紹介されていますので、是非足を運んでみてくださいね♪

住所:〒791-1136 愛媛県松山市上野町甲650番地

アクセス:伊予鉄バス砥部線「下原町」より徒歩約10分

元祖(本家)の踊り

 伊予鉄グループの元社員でもあった前田伍健が家元として普及に尽力をした本家野球拳、私たちには今でも「元祖の踊り」として根付いています🧐元祖とは本家野球拳の振付という意味で、当時の振付が鮮明に再現されています!

集結!

 あっ、皆さんこのタイトルはおわかりですか??これは、第59回大会のキャッチフレーズです🤭今年も私たちは、伊予鉄グループ連として出場を予定しています!昨年は惜しくも優勝を逃しましたが、今年は更に一丸となって優勝を目指したいと思います!そして、まもなく伊予鉄グループでも練習が始まります🤭本番に向けて皆で気持ちを高めていきましょう!

 こちらは昨年の練習風景です。こちらも是非ご覧ください♪今年もこんな風に盛り上がっていけたらいですね!

 本年も、踊り手一人ひとりが最高のパフォーマンスで大会を盛り上げたいと思います!皆さまのご声援をよろしくお願いいたします🤗

では、今回のブログはこの辺で。次回もお楽しみに~!!


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