時代を旅するきっぷ~伊予鉄の乗車券ヒストリー~

いよ子です。

皆さんは昔の切符を手にしたことはありますか?分厚い紙に、味のある字体。パンチで開けられた小さな穴。そんな切符を見つめていると、まるで時間をさかのぼる旅に出たような気持ちになります。

伊予鉄道は、明治時代から現在まで、松山の街とともに歩んできました。その乗車券もまた、時代の流れとともに、形を変え続けています。今回は、そんな伊予鉄道の「乗車券の歴史」にスポットを当ててご紹介します。

硬券の時代 ~始まりは厚紙のきっぷから~

伊予鉄道は1887年(明治20年)に設立され、翌1888年(明治21年)に四国初の鉄道として松山~三津間で営業を開始しました。その当時の乗車券は「硬券」と呼ばれる厚紙製のものでした。小さなサイズながらしっかりした作りで、駅員さんが一枚ずつ手で発行し、改札ではパンチで穴を開けて使われていました。指でつまめるサイズの硬券には、駅名や日付が印字され、駅員が「パチン」と鋏(はさみ)を入れることで使用された証となりました。その音や感触に、懐かしさを覚える人も多いはずです。

硬券は時代が進んでも長く使われ、「旅の記念」として持ち帰る人も多かったそうです。なかには印刷時期によって色味や字体が違うものもあり、コレクターの間でも人気が高いアイテムとなっています。

軟券と磁気券の登場 ~自動化への第一歩~

昭和の中頃から、駅の混雑を減らすために登場したのが「軟券」です。これは柔らかい紙に印刷された切符で、発券機で素早く印刷・発行できるようになりました。日付や区間がプリントされた切符を受け取り、改札で駅員さんに見せて通る、そんなスタイルが定着していきます。

やがて、平成に入り、自動改札機の普及に合わせて「磁気券」が導入されました。裏面に磁気テープが貼られ、機械での読み取りが可能に。切符の表には利用区間や発行駅の情報が印刷され、スタイリッシュで実用的なデザインに変わっていきました。

ICい〜カードからモバイルの時代へ

そして2005年、伊予鉄道では「ICい〜カード」が主流となりました。財布に入るカード一枚で、電車もバスもスムーズに乗れる便利な時代。それから約20年が経ち、2025年3月からは、ICOCAなど全国交通系ICカードが伊予鉄電車・バス全線で利用できるようになりました。

乗車スタイルも大きく変わり、切符を「買う」「見せる」「渡す」といった一連の動作は、日常から少しずつ姿を消しつつあります。

まとめ ~あなたの思い出のきっぷはどれですか?~

伊予鉄道の乗車券は、ただの「乗るための紙」ではありません。その時代ごとの技術や文化、そして旅人たちの思い出を乗せてきた、小さなタイムカプセルです。

みなさんの手元にも、どこかに一枚、思い出の伊予鉄の切符が残っていませんか?それはきっと、あなたと伊予鉄の歴史をつなぐ、大切な一片になるはずです。

自動券売機「0001番」のきっぷ

先日、ある方がとても貴重な乗車券をご寄贈くださいました。この乗車券は、昭和46年に伊予鉄ターミナルビルが完成した当時の自動券売機で発券された「初」の乗車券です!見てください!「0001番」という文字が印字されています。長い歴史のなかでも“はじまり”の瞬間を記録した一枚は、今も大切に保管されています。

このような貴重な資料をご寄贈いただけたことに、心から感謝いたします。今後も、伊予鉄の歩みを記録し、伝えていけるよう取り組みます。
みなさんも、お手元にある“あの頃の伊予鉄”があれば、ぜひ教えてくださいね。


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