渋沢栄一も乗車した坊っちゃん列車。伊予鉄社長との意外な関係

みなさん、こんにちは。いよ子です。

昨年のNHK大河ドラマ「晴天を衝け」面白かったですね。

渋沢栄一(写真提供:渋沢資料館)

いよ子、「渋沢栄一」といえば、「新1万円札の顔」とか、「実業家」というイメージしかなかった・・・反省。

ドラマで躍動感ある生き生きとした人物として描かれ、印象変わりました。

実はこの渋沢栄一、愛媛・松山を訪れ、なんと坊っちゃん列車に乗車したという記録が残っています。

さらには伊予鉄の第3代・5代目社長、井上要と親交があったということで、今回はこのあたりを掘り下げてみたいと思います。

なぜ松山に来たのか?

そもそも渋沢栄一はなぜ松山を訪れたのでしょう?

来松が実現した背景は、

・第一銀行(渋沢氏が創設した日本最古の銀行)の広島支店・熊本支店開業式参列のため西日本方面に出向く用事があった。

・宇和島市出身で山下汽船(現 商船三井)の創業者、山下亀三郎氏から「ぜひ松山に寄ってほしい」との依頼を受けた。

ということだそうです。

渋沢氏がもし「面倒くさがり屋さん」だったとしたら、絶対に松山には来なかっただろうと思います。なんせ尾道から船で4時間かかったそうですから。

それを気にせず行程を松山経由にしてくれたこと。そこに、渋沢氏の行動力が見える気がします。

ちなみに当時、渋沢氏は第一銀行の頭取でした。同行者には山下氏のほか、第一銀行の役員、杉田富という人がいたようです。

偉人は疲れを知らない

(松山一日目)大正4年9月30日

渋沢氏は紅葉丸という船に乗り尾道を出発。17時40分に愛媛・高浜港に到着します。

そこで伊予鉄が用意した特別列車に乗車して、松山へ。

その日は官民合同の歓迎会に出席し、道後の老舗旅館「鮒屋(現在のふなや)」に宿泊しました。宿では入浴後も深夜まで書をかいたそうで、ふなやさんにはその時書かれた漢詩の書が残っています。

それにしても長旅と歓迎会の後「やれやれ疲れたな~」とすぐに就寝しないのが、すごいところです。睡眠時間なかったのでは・・・。ちなみに渋沢氏はこの時75歳。若いもんより元気です。

ふなやさんに展示されている渋沢氏の書

渋沢氏が松山に残したもの

松山二日目(10月1日)

8時40分 ふなやを後にした渋沢氏は、伊予鉄社長の井上要氏が先導する人力車に乗車。道後公園を経由し、現在の松山商業高校へ。記念植樹し、校庭で生徒に教えを諭します。 

9時30分 県公会堂で学生に講話。

10時30分 農工銀行で商工業者に「実業家の本領」と題した講演。          

お昼には松山城天守で銀行が合同で開催した昼食会に出席。

14時30分 再び県公会堂で女性を対象とした「女子の高等教育」に関する講演。

15時40分 松山発の列車で高浜へ(16時10分着)

びっしりのスケジュールをこなし、高浜に着くとすぐに広島・宇品行きの紅葉丸に乗船。まさに風のように去っていきました(これは想像)

さて、この2日目、市駅から列車に乗った際、渋沢氏が残したものがあります。

それが「坊っちゃん列車芳名録」への署名です。今も伊予鉄で大切に保管しています。

▲坊っちゃん列車芳名録

渋沢氏に続いて署名しているのは、松山行きを依頼した山下氏と同行者の杉田氏のものです。

よく見ると、ほかにもスゴイお方のお名前が・・・。

加藤 高明(かとう・たかあき)◆普通選挙法・治安維持法を制定した、第24代内閣総理大臣

濱口 雄幸(はまぐち・おさち)◆緊縮政策と金解禁を断行した、第27代内閣総理大臣

白川 義則(しらかわ・よしのり)◆愛媛県出身の陸軍軍人。秋山兄弟とも親交があった。

前田 秀實(まえだ・ひでみ)◆大正3年4月愛媛縣内務部長

この芳名録、現在伊予鉄本社一階の「坊っちゃん列車ミュージアム」で展示中です。

伊予鉄社長と渋沢栄一

松山で渋沢氏を先導した伊予鉄社長 井上氏と渋沢氏の間には、文化的な親交があったようです。

井上氏の伝記「井上要翁傳」によると、高浜の別荘に書斎と応接を兼ねた一室を増築する際、部屋の名前を渋沢青淵(せいえん:渋沢栄一の雅号)から贈られた「不去庵」とした、との記述があります。晩年は自身の雅号を「不去庵」とし、和歌を詠んだとのことです。

▲井上要 著「伊予鉄電思ひ出はなし」より高浜邸内の不去庵

棒ほど願って針ほど叶うことばかり

大河ドラマの最終回で、渋沢氏の生涯を「棒ほど願って針ほど叶うことばかり」、つまり「棒ほど太くて大きな望みを持っていても、実際は針ほどの細く小さな願いしか叶えられなかった」のでは、と追悼される場面がありました。

渋沢氏が成し遂げたことが「針」ほどだった、ということではありません。

渋沢氏は成し遂げたことや知られていることの何倍ものことを願い、夢を持ち、そして行動していたのです。たとえ無駄になっても労力の出し惜しみはしませんでした。

松山来訪時の渋沢氏の精力的な活動の記録を見て、あらためてそう思わずにはいられません。

ぜひ、そんな渋沢栄一の松山来訪エピソードと直筆サインを展示している「坊っちゃん列車ミュージアムへお越しください!

お待ちしてまーす!


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