電車の系と形、番号の疑問
- 2022.03.11
- 電車・バスの豆知識
皆さんこんにちは♪なんでっ子、いよ子です。今回はいよ子が感じた「なんで?」を掘り下げ!
目指せ、わかりやすい解説❣
「系」と「形」の分け方
伊予鉄の電車たち🚋
50形、2000形、2100形、5000形
610系、700系、3000系
どうして、どうやって分けているのか?決まりってあるのかな?と思ったいよ子。
調べた結果、こんなことがわかりました!!じゃじゃーん✨
鉄道会社によって使い分けており、明確な決まりはありません。1つ1つの個体に車両番号があり、性能やデザインなどが同じ車両を「形」、それが2両や3両連結した(=編成)場合は「系」とする分け方が多いようです。
🌟たとえば700系🌟 724号-714号-764号 という編成の列車の場合、
「形」…それぞれの車両を720形、710形、760形と呼ぶ
「系」…3両の編成を1セットで700系と呼ぶ
※伊予鉄700系の場合3つしか形がなく、710番台⇒710形、720番台⇒720形、760番台⇒760形となります。
そっかあ、違う車両同士で編成されているから、まとめて呼ぶと○○系になるんだ!
実は、700系や3000系の中でも、個体差があるんです。
「伊予鉄700系の個体差」についてはこちら♪
形式の番号の決め方
さて、ここからは番号に注目していきます。さっきから、5000とか700とか言っていますが、その番号どうやって決めているの?という疑問。
これは、それぞれの鉄道会社によって任意で決められています。つまり、同じ車両であっても鉄道会社によって番号が変わることもあるよ!ということです。
じゃあ伊予鉄ではどうやって決めているのか・・・。
基本的には、既にある車両たちと被らないようにつけています。(難しい理由じゃなかった😀💗)
譲渡元と同じ数字のパターン
他の鉄道会社さんから譲渡してもらった車両について、その番号を変えない場合もあります。
たとえば3000系🌟京王電鉄さんから譲り受けた車両でおなじみです。当時、伊予鉄の車両で大きい数字は2100番台までありました。となると、次は3000!というわけで💕1つ1つの名前である車両番号は変わっているのですが、京王電鉄さん時代と同じ3000系のままとなりました。
市内電車の伊予鉄2000形♪こちらは京都市電さんから譲り受けた車両です。
特に2000形は、2004号や2005号といった、車両番号までそのまま!
あの日あの時京都を走っていた車両と松山で再会🥰という感動も味わえるんです✨
でも、2000形って数字、なんか飛んだ~?
一体どうしてなの~??いよ子は、こう推測します✨
- 2000形の運用開始は1979年。当時の伊予鉄はまだ3ケタの形式番号ばかり
- 他の車両と被らないように数字をつけていく
以上のことから、4ケタ車両時代に突入だ!と、2000形のまま引き継ぐことになったのかな?
と、単純に考えていましたが・・・!
実はあった!「1000」番台
昔のことを調べると、2000形の前にはちゃんと「1000」があったんです。
白黒の写真ですみません💦
正確には、モハ50形1001号、1002号、1003号が在籍していました。1001号は、1967年に呉市交通局の市電廃止に伴い譲り受け、伊予鉄で約36年運行。その後、広島県の呉市の歴史を示すものとして、呉市に里帰りしました✨
番外編
外せない、伊予鉄5000形♪
5000。数字も大きくなりましたね✨
ちなみに💡4000番台とならなかったのは、番号を決めた当時、4という数字は避けたいという考えがあったのかなといよ子は思います。
5000形は、なるべくして5000となったんですね💕
130年を超える伊予鉄の歴史の中で、さまざまな車両が走ってきました。
次の新しい車両がきたら、6000になるのかな?😍
なーんて、いよ子の勝手な妄想もそこそこに😆今回はここでおしまい🌸
最後まで読んでくださってありがとうございました~!次回もお楽しみに♪
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