高浜駅は、違う場所にあった!?
- 2022.03.03
- 伊予鉄の歴史
みなさんこんにちは。いよ子です。
今回のテーマは「高浜駅」✨
高浜駅は高浜線の終端駅で、駅の目の前には中島や興居島を結ぶ高浜港があります。この高浜港の開発も実は伊予鉄が行ったんです!


高浜駅と高浜港の歴史、それから現在の高浜駅の紹介という流れで、解説していきたいと思います♪
高浜駅と高浜港の歴史
高浜駅が設置されたのは、明治25年5月。
三津駅から線路を延長して営業を開始しました。
この路線延長を提案したのは、伊予鉄道第3代・第5代社長の井上 要でした。この頃は、三津浜港が栄えていたものの、三津浜港に比べて自然環境に恵まれていた高浜港の将来性を見抜いた井上要は、高浜港の整備とともに高浜までの線路の延長を考えていたんです。
高浜駅を設置した11年後、本格的に高浜港の整備が進めれることに。明治36年、桟橋を建設するなど整備が進められました。そして、高浜駅についても更なる利便性向上のため、明治38年に実は移転していたんです💡

移設前は、現在の場所から約480m南の位置にあったようです!(★印の場所)この場所だと、海まで少し距離がありますね。。
そして、明治39年、港の整備が完成し、高浜港開港式も執り行われました。

高浜港開港後は高浜港へ寄港する船が増え、順調に発展していきました。高浜駅の利用もかなり増え、貨物利用も増えたことで大幅に収入増となりました。
高浜港の開発には三津浜地区の人々の反対があったということは、以前のブログでもお話ししましたね。
まだ読んでない方はこちら↓
高浜駅が移設する前の写真がないか、いよ子頑張って探しました🧐
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高浜港周辺の写真を3枚発見!✨
1・3枚目はいつ撮影されたのか不明。2枚目は昭和初期と記録がありました。3枚ともターナー島(青線囲み)が見えるので同じような角度から撮影されていますね!
1枚目と2枚目はホームの上屋などが似ていて、2枚目と3枚目は建物の屋根が似ているので、おそらく全て同じ場所ですね。1枚目と2・3枚目の建物の違いについては、増築しているようにも見えます!
移設されたのは明治38年なので、写真はすべて移設後と思われます。移設前の写真が見れなくて残念😭
現在の高浜駅も建築からかなりの年数が経っているようですが、こちらもいつ建てられたのかはっきりした記録が残っていません。ただ、写真の駅舎とは違いますよね!なので現在の駅舎は昭和初期以降に建てられたということが分かります。
現在の高浜駅

現在の高浜駅は、三津駅の2代目駅舎と同じように「アールヌーヴォー調」のデザインがところどころ施されています。
壁面にヨーロッパ風のデザインがアーチ状に描かれていますね!
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現在は白く上塗りされたものの、建築当時は海側の壁面にも同様のデザインが施されていました。

天井も独特なデザイン😲

そして!高浜駅と言えば!
福山雅治さん主演映画「真夏の方程式」のロケ地なんです✨

映画の中では「玻璃ヶ浦駅」という名前で登場しました✨

待合室を見た時、いよ子はふと思いました。。「なんかすっごく広くない!?」

これは、貨物用の荷物を置くためのスペースだったのかな~?🤔
※また推測でごめんなさい!(笑)
ホームの柱は、使われなくなったレールが再利用されています。

駅員室の入り口に珍しいものを発見!「駅長」看板が吊り下げられています。
木製の看板でレトロ感漂っていますね~♪

高浜駅近くには、広島や小倉(九州)を結ぶ松山観光港もありますが、そちらへは連絡バスが出ています!電車の時間に合わせて運行するので、とっても便利ですよ♪広島や小倉方面からの観光の際は、ぜひご利用くださいね😁

というわけで、今回の高浜駅解説はこの辺で!
港の発展を見越して線路を延長したり、より港に近くするために駅を移設したり、高浜駅には高浜港と関係した深い歴史があったんですね~💡
最後までご覧いただき、ありがとうございました✨

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駅長の看板、今となっては大変貴重ですね
確か改装前の三津駅にもあった記憶があります
明治の坊ちゃん列車の良き時代 いいですね
コメントありがとうございます! 明治時代の雰囲気いいですよね♪