あの偉人と松山の意外な!?関係
- 2021.10.18
- 伊予鉄の歴史
伊予鉄が走っている「松山市」。
そもそも、どうしてこの地域は「松山」という名前になったのでしょうね(・・?
あ、突然すみません、いよ子です。
さて、松山の名前の由来は諸説あるようですが、市のホームページによると、
- 松山市のお城のある山に多くの松の木が植えられていた
- 江戸時代の徳川家一族である松平家の「松」を取って付けられた
と、いうことです。(どちらの説か、定かではない・・・残念)
今回は、この「松」に縁があるエピソードを紹介します。
戦に敗れて・・・
伊予鉄道高浜線の梅津寺駅にある「栽松碑」、皆さんご存じですか?
駅を降りて線路沿いに南へ少し歩いたところにひっそりと佇んでいる、この記念碑。
かなり見過ごされがち、、、ですが、実は歴史上の超大物人物につながっています。
遡ること戦国時代(いきなり感)。四国征伐で伊予の国(現在の松山)に攻め込んできた小早川軍に、辺り一帯を治めていた河野一族は敗戦・・・広島方面へと逃れました。敗走した家臣の一人「林淡路守通起(はやしあわじのかみみちおき)」の11代目の子孫に大変優秀な「林利助(りすけ)」という聡明な少年がおりまして・・・
この利助こそが、なんと初代内閣総理大臣の伊藤博文となったのです。
つまり、伊藤博文のルーツを辿ると、それはこの松山にあった、というわけ。
これ、すごくないですか?
もし、そのご先祖さまが松山から無事に逃げおおせてなかったら・・・伊藤博文が旧千円札のデザインになることはなかったし、未だにフグだって解禁されてなかったかもしれません(←そこか?)
※豊臣秀吉のフグ禁止令を解いたのは伊藤博文でした。(参考)ふぐ食の歴史 |協同組合下関ふく連盟 (fuku.com)
※明治42年(1909)に、伊藤博文は道後温泉を訪れ、その時の歓迎会で「当国は即ち祖先の故郷なり」と演説しました。(伊予鉄にはご乗車いただけなかったのかな~(心の声))翌年にはここで祖先の300回忌をしたいとも語りましたが、その年の10月に満州ハルビン駅で暗殺され、再び松山を訪れることは叶いませんでした。
「栽松碑」と伊藤博文
そして現在の梅津寺、「栽松碑」に話しは戻ります。
この碑に刻まれていることを目を凝らして読んでみると、
梅津寺海浜一体の松樹は松山の人俊成比古次郎君明治四十二年の際に春畦伊藤公及び融資者の捐金を得て躬ら種植したるものなり石に刻して後に傳ふ(昭和五年七月 伊予鉄道株式会社)
現在、松はほとんど残っていませんが、昭和32年(1957)の伊予鉄社内誌を見ると、確かに松が茂っているように見えます↓↓↓(松より海水浴客の多さに驚きます。小舟の数もすごい←そこか?)
今も魅力あふれる梅津寺
この梅津寺は、風光明媚な場所というだけでなく、かつては上のような海水浴場や、温泉、遊園地(梅津寺パーク)、海上飛行場などがありました。(飛行場があったなんて面白いですね。写真は大人の事情で掲載不可です。すみません。)
現在も駅前には「みきゃんパーク梅津寺」、梅津寺公園、秋山兄弟銅像など、見どころ満載です。じっくり観光したい方には海を臨む眺望がステキな宿泊施設「旅籠屋」さんがあります。
なんといっても、あの月9ドラマ「東京ラブストーリー」のロケ地ということで梅津寺駅を訪れる人が今も絶えません。(ホームの柵に思い出と一緒にハンカチを括りつける方、多数いらっしゃいます)
皆さんもぜひ、一度この梅津寺を訪れてみてはいかがでしょう。歴史に思いを馳せながらお散歩するもよし、海景色に癒されるのもよし、夕日に何か叫んでみるもよし、です。
いよ子的には「みきゃんパーク梅津寺」のカフェで海を眺めながら愛媛の柑橘を使ったスイーツを楽しむ・・・これ、ホント最高です。
春先には梅津寺公園に沢山の梅の花が咲きます。穏やかな時間を過ごしていただけますよ。
あ、気が付けば「松」の話しから「梅」の話しになっていましたね・・・(‘Д’)。
おまけ
伊藤博文が坊っちゃん列車に乗った記録は無いのですが、歴史上の名だたる偉人に乗っていただいた時の記録が芳名録に残されています。
徳富 猪一郎(とくとみ いいちろう):「蘇峰(そほう)」の号で知られる。『國民新聞』(東京新聞の前身)を主宰し、大著『近世日本国民史』を著した。 平福 百穂(ひらふく ひゃくすい): 日本画家。自然主義、写実主義を主唱。アララギ派の歌人でも知られる。
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加藤 高明(かとう たかあき):普通選挙法・治安維持法を制定した、第24代内閣総理大臣。
濱口 雄幸(はまぐち おさち):緊縮政策と金解禁を断行した、第27代内閣総理大臣。
渋沢 栄一(しぶさわ えいいち):第一国立銀行や東京証券取引所なの設立・経営に関わり、「日本資本主義の父」といわれる。
今回はこのへんで。
最後まで読んでいただきありがとうございました!
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