発見!松山市駅の図面 ~集札・出札・改札~

皆さん、こんにちは。いよ子です。

突然ですが、こちらの写真!いつ頃の松山市駅か、ご存知でしょうか。

建物は背が低め・・・奥の方には木が見えますね👀

現在の松山市駅周辺とはかなり違う😮

というわけで今回のブログでは、この写真に映った松山市駅について紐解いていきたいと思います!

改札が2つ?

先ほどの写真について✨答えは、1950(昭和25)年代!落成は戦後すぐ。1950年です。

この1950年代の松山市駅の写真を見ていて、ふとした疑問が湧きました。

写真中央と右にある四角形と丸で示した部分なのですが…これ、どちらも駅の改札だったのでしょうか?でも、結構近くにあるなあ。うーーーん、気になる!会社の年史には、写真の説明書きに1950年代の松山市駅とありましたが、それ以上は見つけられず…いよ子、いろんな先輩に聞いてみました。

図面で判明!

調べて、聞いてみて、やっぱり文章としての記録は見つけられません。

諦めかけたその時!こんな資料が見つかったと、一報がありました😭

歴史を感じる冊子です✨松山市駅及び本社の戦災復旧工事の図面が綴じてありました。

そう、この松山市駅が落成した1950年といえば、戦争が終わってまだ5年しか経っていません。伊予鉄も、空襲で本社社屋をはじめ松山市、古町、江戸町(現在の大手町駅前)、一番町の各駅、機関庫、工場、電車庫や自動車工場などの建物および設備を焼失。鉄道や軌道の線路への被害に、鉄道車両26両、市内電車9両、自動車30両を失ったと記録されています。

以前の記事でもご紹介しましたが、車両は疎開させていたものが助かり、幸い郊外線への被害が少なかったため、空襲のあった翌日には高浜線・郡中線・横河原線・森松線(一部を除く)を運転することができたそうです。

終戦を迎え、工場や倉庫、乗務員宿所など急を要する建物の戦災復旧を優先し、本社と松山市駅は仮の建物で営業をつづけていました。そうしてほかの工事が落ち着いた1949年に、いよいよ本社と松山市駅の復興にとりかかることになったんです。

さて、それでは図面を見ていきたいと思います! 

スキャンした図面(松山市駅平面図の1階部分)

画像の中央あたりに待合室と「出札室」、案内所。右の方に「集札所」とありますね!!

松山市駅部分をちょっと大きく撮ってみました

ここで、いよ子のプチ解説♪

  • 出札・・・乗車券などを発売すること
  • 集札・・・降車した旅客の乗車券を回収すること
  • 改札・・・旅客の乗車券が有効かどうかなどを確認すること

つまり、中央から入り出札室で切符を買って乗車♪

電車から降りて出ていくのは右の半円の部分だった✨ということです!!

いやーーースッキリしました!😂わかってよかったなあ!

こんな写真もありました♪

サービス向上のため

本社と松山市駅の工事も終え、1951年ごろには復興も一段落だったようです。そこで、1952年以降の建築の目標は、「運転の安全を確保し旅客接遇の向上改善をはかる」ということになりました。

というわけで、以前から要望のあった松山市駅の南口を1954年に開設🌟サービス向上に努めました!今回は当時の南口の写真を見つけられなかったので、見つかったらお伝えしますね☺️

その後もさまざまな工事を重ね、今の松山市駅があります♪

当時の記録を改めて読んでみましたが、どんな状況にあっても先を見据えてきたことがうかがえました。

いよ子、今回も新しいことを知れて嬉しかったです🌸最後まで読んでいただきありがとうございました!では、次の記事もお楽しみに🥰


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