発見!松山市駅の図面 ~集札・出札・改札~
- 2023.03.24
- 伊予鉄の歴史
皆さん、こんにちは。いよ子です。
突然ですが、こちらの写真!いつ頃の松山市駅か、ご存知でしょうか。
建物は背が低め・・・奥の方には木が見えますね👀
現在の松山市駅周辺とはかなり違う😮
というわけで今回のブログでは、この写真に映った松山市駅について紐解いていきたいと思います!
改札が2つ?
先ほどの写真について✨答えは、1950(昭和25)年代!落成は戦後すぐ。1950年です。
この1950年代の松山市駅の写真を見ていて、ふとした疑問が湧きました。
図面で判明!
調べて、聞いてみて、やっぱり文章としての記録は見つけられません。
諦めかけたその時!こんな資料が見つかったと、一報がありました😭
歴史を感じる冊子です✨松山市駅及び本社の戦災復旧工事の図面が綴じてありました。
そう、この松山市駅が落成した1950年といえば、戦争が終わってまだ5年しか経っていません。伊予鉄も、空襲で本社社屋をはじめ松山市、古町、江戸町(現在の大手町駅前)、一番町の各駅、機関庫、工場、電車庫や自動車工場などの建物および設備を焼失。鉄道や軌道の線路への被害に、鉄道車両26両、市内電車9両、自動車30両を失ったと記録されています。
以前の記事でもご紹介しましたが、車両は疎開させていたものが助かり、幸い郊外線への被害が少なかったため、空襲のあった翌日には高浜線・郡中線・横河原線・森松線(一部を除く)を運転することができたそうです。
終戦を迎え、工場や倉庫、乗務員宿所など急を要する建物の戦災復旧を優先し、本社と松山市駅は仮の建物で営業をつづけていました。そうしてほかの工事が落ち着いた1949年に、いよいよ本社と松山市駅の復興にとりかかることになったんです。
さて、それでは図面を見ていきたいと思います!
画像の中央あたりに待合室と「出札室」、案内所。右の方に「集札所」とありますね!!
ここで、いよ子のプチ解説♪
- 出札・・・乗車券などを発売すること
- 集札・・・降車した旅客の乗車券を回収すること
- 改札・・・旅客の乗車券が有効かどうかなどを確認すること
つまり、中央から入り出札室で切符を買って乗車♪
電車から降りて出ていくのは右の半円の部分だった✨ということです!!
いやーーースッキリしました!😂わかってよかったなあ!
こんな写真もありました♪
サービス向上のため
本社と松山市駅の工事も終え、1951年ごろには復興も一段落だったようです。そこで、1952年以降の建築の目標は、「運転の安全を確保し旅客接遇の向上改善をはかる」ということになりました。
というわけで、以前から要望のあった松山市駅の南口を1954年に開設🌟サービス向上に努めました!今回は当時の南口の写真を見つけられなかったので、見つかったらお伝えしますね☺️
その後もさまざまな工事を重ね、今の松山市駅があります♪
当時の記録を改めて読んでみましたが、どんな状況にあっても先を見据えてきたことがうかがえました。
いよ子、今回も新しいことを知れて嬉しかったです🌸最後まで読んでいただきありがとうございました!では、次の記事もお楽しみに🥰
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凄いですね松山駅の図面が出てきたのが私達が生まれるまえの図面ですね写真も凄いですね、私達が行ってる喫茶店のお店のオーナーさんも好きですね山下美和子
コメントありがとうございます!図面発見できて本当によかったです。
ちなみにこの建物は家事で消失してしまいました。3,4歳の頃だから50年以上前のことですが。
コメントありがとうございます!当時の建物を覚えてくれている方がいて、とっても嬉しいです!