廃線跡めぐり~道後鉄道・松山電気軌道~
- 2023.03.17
- 伊予鉄の歴史
こんにちは。いよ子です。
今回のブログは廃線跡めぐり!!
森松線の廃線跡は以前ちょこっとご紹介しましたが、
今回は、現在市内電車が走っている線路へと遷り変わった「道後鉄道」と「松山電気軌道」の線路跡を調査します♪
現在の市内電車(路面電車)の線路はこちら ↓
現在の線路は伊予鉄がすべて敷設したのではなく、場所によっては道後鉄道や松山電気軌道で使っていた線路を利用しています💡(線路幅は当時と違うため全く同じ線路ではありません)
路線図の変遷
まず、路線図がどのように現在の線路になったかを簡単に解説します。
(詳しい変遷の歴史はこちらからご覧ください【路線図の考察~伊予鉄 路面電車の変遷~】)
明治28年、道後鉄道の線路が開通💡
【道後から三津口(現在の萱町)・松山(現在の大街道)】
道後鉄道はその後、明治33年に伊予鉄道に吸収合併しています。
明治44年、松山電気軌道の線路が開通💡
【道後から住吉(三津地区)】
松山電気軌道はその後、大正10年に伊予鉄道に吸収合併しました。
そこから少しずつ、線路ができたり、経由地を変更したり、、
昭和11年にはダイヤモンドクロスになっている線路が開通しました!
その後も本町線の線路や花園町通りに線路ができ、現在の姿になりました。
現在の路線図と比較!
この地図は、30年史「我社の三十年」に掲載された、100年以上前の松山市街地の地図です。
これは、大正8年に伊予鉄道電気㈱が発行したもので、まだ松山電気軌道と伊予鉄が別会社だったため、線路の表記が2種類になってます。(実線が伊予鉄・点線が松山電気軌道)
上の地図に現在の線路位置を合わせたのがこちら ↓
当時と同じ場所に線路がある部分もありますが、現在は通っていない線路もありますね。その部分は廃線となっています。
廃線跡調査!
というわけで!その廃線跡を調査します!
当時の名残があればいいな~♪
線路跡が現在”道”として面影を残している部分をピックアップして撮影しました✨
①
まずは、伊予鉄(道後鉄道)の線路跡から調査!
愛媛銀行本店近くの場所で、斜めに曲がっていた線路部分です!
②
現在の道後一万あたりです。
当時は伊予鉄の線路と松山電気軌道の線路が立体交差していたのかな?
③
道後今市の細い道ですが、この道を通って古町方面に向かっていたんですね~。
道路幅が狭いので、当時の線路幅と同じかも♪
④
道後温泉駅の車両留置線が見えますね♪
当時は正面の道後温泉駅から写真手前に向かって線路が伸びていました!
⑤
ここからは、松山電気軌道の線路跡を調査!
まずは、勝山通りから一番町通りに向かって斜めに伸びる道です。
この線路跡は一番町通りまで綺麗に道として残ってますね♪
⑥
正面に「いよてつロフティ上一万」が見える上一万の場所ですが、
当時の地図をよく見ると、現在の線路より少し南を通っています。
当時はこの歩道あたりを線路が通っていたのかな?
⑦
平和通5丁目のあたりです。
当時、住吉からの線路は、そのまま現在の本町線の線路を通っていたのではなく、一本東側に入ってから本町線の線路位置に戻るようなルートでした。
⑧
最後のスポットです!
正面奥には伊予鉄道の車両工場が見えます。
当時はこの道(線路)を市内方面に進んだ所で伊予鉄線路と交わっていたわけですが、その写真見つけました♪
こんな感じで立体交差していたんですね~!!
まとめ
廃線跡めぐり、いかがだったでしょうか!
100年以上経っても面影を残しているところって、実は結構あるんだな~♪
線路跡の道路を眺めて、当時の景色を想像するのも面白いですよ✨
それでは今週のブログはこのへんで! 次回もお楽しみに♪
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